昔はキーボードというのはパソコンを買ったら付属するものを使うのが普通でした。今も大半の人はそうなのですが。
パソコン黎明期(1990年代以前)はサードパーティー製のキーボード自体が珍しいものであり、選択肢は事実上ありませんでした。だから私もずっと付属のキーボードをQWERTYで使っていました。
DVORAK配列はBTRON(TRON計画)で採用されていたので存在は知っていました。ということは1987年のことですね。当時私は大学生でした。
QWERTY配列よりも効率がいい、と言われていましたので当時からあこがれていましたが、実際に使う方法が当時はなかったので夢のような存在でした。
実際にDVORAKに移行したのはいつのことだったでしょうか?
記憶では、アスキーでCD-ROM書籍「マルチメディア図鑑シリーズ」の編集を担当していた時、「ガラパゴス」か「マルチメディア魚類図鑑」をやっていた頃ですので1995年〜1996年のはずです。当時使っていたのは自宅も会社もMacintoshでした(その後もずっと自分用ではMacを使い続けている)。
当時キーボードを叩きまくっていたため小指がつってしまったことがありました。その時、QWERTY配列ではダメだと確信し、DVORAKに切り替えたのぺす。仕事でキーボードをガンガン使わざるを得なかったため1ヶ月ほどで慣れることができました。それ以後ずっとDVORAKを使っています。
どうやってMacでDVORAKを実現していたのか思い出せないのですが、「SwapKey」を使っていたのかもしれません。
キーボードはMac付属のもので、文字をペンで書いたシールをキー上面に貼っていました。ただ、これだと汗で文字がにじんでくるし、だんだんと汚れていきます。そのため時々貼り替えが必要でした。この頃はキーキャップを引っこ抜くという発想はまだありませんでした。引っこ抜いたとしても、キーキャップは段によって傾きが違っているのでDVORAKに並べ直すとでこぼこになってしまいます。シール対応は美しくはありませんが仕方のない方法でした。
1998年2月、Happy Hacking Keyboard2を購入しました。「PD-KB02/M」というMac用のADB接続モデルです。確か、秋葉原の「ぷらっとホーム」に買いに行きました。
HHKを知ったのは月刊アスキーか何かパソコン雑誌だったはずです。当時はそれが大きな情報源でしたから。
「カウボーイの鞍」の例えはとても印象的でしたし、それをPFUのホームページも見ていたはずです。
ただ、このHHKには矢印キーがありません。DVORAKで使っていたはずなのですが、いったいどうやって使っていたのか思い出せません。
この頃、Kinesisも既に存在していました。が、HHKよりもさらに高価であったため考慮の対象にはなりませんでした。
調べてみると、Kinesisの最初の製品は1992年発売とのこと。現在(2019年)も当時の外見をほぼ保っているというのは驚きです。
エルゴノミックを売り文句にしていたApple Adjustable Keyboardは1993年発売でした。Macintoshユーザーだった私にとってはこれはあこがれのキーボードでした。
Mac OS 8.5(1998年10月17日発売)ではOSでDVORAKをサポートするようになりました。これでDVORAKの設定も楽になりました。
ここでDVORAK使用のための知恵をひとつ。
DVORAKの弱点のひとつとして、kが左手側にあるというのがあります。ほとんどの子音が右手側にあるのにこのままではちょっと使いにくいです。
これを解決するにはかな漢字変換でのローマ字ルールを変更すればよいのです。つまり「か行」をca、ci、cu、ce、coに割り当てるのです。cは右手側にありますので「か行」問題はこれで解決です。
昔はローマ字ルールの変更ができないソフトウェアがほとんどでしたが、最近はだいたい変更可能になっているのではないでしょうか。
2000年ごろ?購入したのがテックパーツの小型キーボード「TP-K65U-GP」です。
2000年、MacでADBが廃止され、キーボードなど周辺機器の接続はUSBになりました。その結果HHKが使えなくなり、代わりが必要になったのです。
このキーボードは珍しくMac用でした。キーピッチが小さいためキーボード全体もコンパクトなサイズでした。このサイズでも慣れれば使いにくいということはありません。
キーキャップは簡単に付け外しできたのでDVORAK派にはありがたかった製品でした(下の写真の通り、ちゃんとDVORAKに並べ直しています)。
HHKは名機でしたがその後HHKに戻ることはありませんでした。
実はHappy Hacking Keyboard Lite2を買ったのですが、使用感がかなり違ったものになっていてすぐに使うのをやめました。
この後、私は別の方向へ進んでいくことになり、HHKは関心の対象外になってしまうのでした。