TTTキーボード研究室


LEIA clavier製作記

●それまでの話

同じ「キーボード」の名前を持ちながら、楽器の鍵盤とパソコンのキーボードはまったく違う形をしている。目的が違うのだから形が違うのも当然ではあるが、これを交換しようとする試みはこれまでにもあった。

パソコンのキーボードを楽器鍵盤に見立てるという試みは8bitマイコン時代から数多く行われてきた。キーボードのキーは行毎に横にずれているので楽器鍵盤とデザイン的に似ており、実装しやすかったと言える。

歴史的には楽器鍵盤の方がはるかに古い。そのため、初期のタイプライターでは楽器鍵盤のようなキー構造のものがあった。これまで私が知っていたのは次の図版である。

キーボード配列のイノベーションの 歴史的展開に関わる図版
「図9 1868年7月取得タイプライター特許におけるSholesのキーボード配列」がそれ。

ショールズとは実用的タイプライターの開発者の一人である。当時はいろいろな人がタイプライター開発(印刷電信機(テレタイプ)も同時に開発が進んでいた)を競っていたのだが、ショールズは当時の最大の貢献者であることは間違いない。
上記図版はショールズのタイプライターの中でも初期のものである。この後すぐにキー形状は現代のタイプライターと同じように丸型のキーボタンに変更される。この方が狭い範囲に多くのキーを配置できるため、高速打鍵に有利になるとの判断があったのだろう。

現代から見ても、楽器鍵盤で文字入力をするのは無茶、というのは明らかである。キーの数は少なくとも40個ほどは必要で、そうすると3オクターブ以上になり、横幅が大きくなりすぎる。机の上に置くには大きすぎるのだ。

これとは別の話になるが、宮本隊長が考案したLEIA3、LEIA4配列では2つのキーを同時押しする「コンボ」を多用している。このコンボはピアノなどでの「和音」に似ているな、とは思っていた。だが文字入力のコンボと音楽的和音はまったくの別物であるということもわかっていた。
3つ以上のキーを同時押しするとさらに「和音」っぽくなるが、覚えなければならないことが増えすぎるため採用はしなかった。

●その日の話

今回の話の本題はここからである。

宮本隊長は古楽、つまりバロック音楽以前のヨーロッパ音楽が好きである。
2025年5月29日はバッハの「ゴールドベルク変奏曲」のコンサートに行くことになっていた。演奏は鈴木優人。日本で最も信頼できるチェンバロ奏者(鍵盤楽器奏者)のひとりと宮本隊長は考えている。

※最近は「ゴルトベルク」との表記が多いようだが、慣れている「ゴールドベルク」と書くことにする。

今回は聞き慣れた曲ということもあって予習することにした。予習とは楽譜を見ながら聞くことである。実はこの曲の楽譜を見るのは初めてなのだった。2声または3声の、一見それほど複雑そうには見えない譜面だが、実際は音符を追いかけるのが精一杯だった。特に、右手左手が接近したり交差したりする箇所が譜面ではわかりにくく思えた。コンサートまでになんとか時間を作りながら3回予習した。

そしてコンサート当日。
ムジカーザというホールは客席が最大でも120程度のかなり小さいホールである。だが特にピアノ向けによく調整されているようで、小編成の演奏に向いている。小さいホールは演奏者と客席との距離が近いのがいい。これが大ホールの安い席だと演奏者が米粒のようにしか見えなくてがっかりしてしまう。
ムジカーザだとすぐ目の前で演奏を見ることができる。今回はチェンバロ鍵盤の右後方、鍵盤がよく見える最前列の席に座る。
鈴木氏の演奏はすばらしいものだった。さすが、華麗な手さばきである。演奏を見ながら、ああいう風に文字入力キーボードも打鍵できたらいいだろうな、とは思った。だが、演奏中は鑑賞に集中、集中。

コンサートの帰りの電車で何となく楽器鍵盤にLEIA4 mini配列が乗るのではないかと思いついた。家に帰って手書きラフを書いてみる。2オクターブあれば必要なキーが収まりそうだ…。LEIA4 miniとは並び方を変えなければならないが。
数字や記号はどうするか。別の段に置けばいいのでは? そう、2段鍵盤チェンバロのように!

この段階でDUMANG DK6 Miniキーボードで作ることができるだろうと判断した。すぐにプロトタイプを試すことができるのがDUMANGキーボードのいいところである。

LEIA clavierという名前もすぐに決まった。「clavier」(クラヴィーア)とは鍵盤楽器の総称である。
ちなみにゴールドベルク変奏曲の初版タイトルにも「Clavier Ubung」=「クラヴィーア練習曲」とある(全4巻の第4巻)。

●それからの話

2段鍵盤なら前後の高さの違いも出さねばならない。通常サイズのキースイッチとロープロファイルのキースイッチを使えば数ミリだが段差ができそうだ。

鍵盤=キーキャップはどうするか?
まずは本当に実用的に使えるかどうかの実験をしなければならない。なので既存のキーキャップで簡易にそれっぽく作りたい。楽器鍵盤なので正方形の1uサイズではなく長方形の方がいい。
いろいろ調べて、THT(Tai-Hao Thins)MXというのを発見した。黒の1.5uは長鍵にちょうど良さそうだった。(TALPKEYBOARDで大人買いしたのは私です。すいません。)
短鍵はDSA 1.25uを採用した。XDAも買ってみたのだが、DSAとXDAの高さがほとんど同じだったのは誤算だった。 この既存キーキャップを使用したものを「簡易版」と呼ぶ。
キーキャップはすぐには買いそろえられなかったが、手持ちのキーキャップで補ったりもしながらキー配列を決めていった。

一方で、本物の鍵盤っぽいものも作りたいという希望もあった。こちらは「鍵盤版」と呼ぶことにする。
本格的には3Dプリンタを使うべきだろうが、3Dプリンタを持ってないし、ノウハウもない。知り合いもいない。残念。こういう場合はプラ素材工作でなんとかするのだ。鍵盤の製作で難しそうなのは、きれいに直線を出すこと。意外とこれが難しいのだ…。が、こういう時に役に立つのがエバーグリーンのプラ素材である。縦横に溝が刻まれていて、切断が簡単にできるプラ素材があるのだ。
今回はエバーグリーンの「70EG4515 プラシート タイル 浅溝タイプ 1.0×4.8mm」を使用した。
本物のピアノの鍵盤は調べてみるとかなり大きい。今回はDUMANGキーボードのサイズに収めなければならないのでミニ鍵盤といった大きさに抑えなければならない。

この作業は少しずつ進めていった。手間がかかるのである。

製作途中の例。

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6月中旬には未完成状態だが実際に使い始めている。右側は既存のキーキャップを並べている途中。

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7月1日
既存のキーキャップで構成した簡易版の初期バージョン。手前からTai-Hao Thins、DSA、DSA、XDA、透明カバーキーキャップを使用している。
この状態でキー配列やコンボを検証した。

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7月13日
7月中旬、ようやく左手側の鍵盤がそろった状態。右手側は簡易版。
黒と白が逆だと思われる方は多いだろうがこれは2段鍵盤チェンバロがモデルだからこれでいいのだ。

キー配列についてはあまり迷っていない。既に完成しているLEIA4 mini配列をベースに並び替え、打鍵しやすいようにコンボの組み合わせを変更した。略語はLEIA4のままにしている。ちなみに、自宅Macでの使用なのでKarabiner-Elementsを使用している。

●完成してから

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簡易版が完全に完成したのは7月24日。キーキャップがなかなかそろわなかったのだ。

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鍵盤版は8月7日に完成。以後はこちらを使っている。

実用的かというと、もう何ヶ月も使っているから実用的と言える(ここを書いているのは11月)。キー配列も初期の試行錯誤の後は変更していない。当分このままでもいいんじゃないかと思える。

以前から思っていたことだが、キーボードが横ずれQWERTYでなければならない必然性はまったくない、ということを今回またあらためて強く感じた。なぜあんなわかりにくいキーボードをみんな我慢して使っているのか理解できない。
QWERTYキーボード製品の枠の中でこのキーボードが良い、とか最高だ、とか言っているのはまったく意味がないように見える。

自作キーボードの世界もQWERTYから逃れることは難しいようだが、自由度はかなり高い。それでも典型的な形状、人気の形状に収斂する傾向があるようで、宮本隊長から見るとどれも似たりよったりにしか見えず、欲しくなるようなものはめったにない。

●普通のキーボード、鍵盤との違い

普通のキーボードとの違いはキーキャップの大きさが1uではないことである。つまりキーキャップの面積が広くなったので、普通の打鍵も同時押しもやりやすいはず。
が、LEIA clavierは全体の面積が大きくなるのは欠点かも。
ちなみに、今回作ったLEIA clavierは横幅は60%キーボードと同じ。縦方向は60%キーボードより長く、6行分に相当する。鍵盤版では手前方向にさらにはみ出している。ちょっと気楽に持ち運びできるサイズではない…。(そもそもDUMANGキーボードは重く、電源を必要とするので持ち運びは現実的ではない。)

LEIA clavierはピアノと同じように手首を浮かせて打鍵する方がそれらしく見える。ただし、これが腕の疲労につながるかもしれない。
宮本隊長は普通のキーボードと同じように使っている。リストレストは使っていない。

打鍵感は本物のピアノや鍵盤楽器とは明らかに違う。鍵盤楽器は支点を中心とした回転運動である。実際はほとんど直線運動だが違いが気になる人はいるだろう。

沈み込みの深さは大きく違う。キーを押し下げた時、ピアノは約10mm、キースイッチは3mm〜4mm程度沈み込む。この差は大きい。「ピアノをひく」のではなく「パソコンのキーボードを押す」ということをわかって使わないと違和感があると思う。

本物の楽器鍵盤にキースイッチを仕込むのがいちばんいいのだが、それだと全体のサイズがかなり大きくなってしまう。

ところで、ここまで「鍵盤楽器」と書いてきたがピアノは実際は打楽器である。
これは冗談などではなく、ピアノはハンマーで弦をたたいて音を出しているので打楽器という認識で正しい。ピアソラの「Escualo」を聞くと「ピアノは打楽器」という意味がよくわかるだろう。
チェンバロは弦をはじいているので撥弦楽器である。
では、このLEIA clavierキーボードは何楽器か? ずばり「キースイッチ楽器」と言うべきだろう。

●先行例

鍵盤で文字入力する試みは少数だが存在する。
ただいずれも実用性の追求、検証が不十分に思える。もう少し突っ込んでほしいところ。
また、音楽との両立にこだわりすぎて仕組みがややこしくなっているのではないか、という傾向もある。音声言語(話し言葉、書き言葉)と音楽言語(ヨーロッパ発祥の12音階音楽のこと)は違うのだから両立は無視してもいい、と割り切ったのがLEIA clavier。

TEMPEST音楽的表現が可能な文字入力システムartsci-v6n2pp88」(竹川、寺田、塚本、西尾、2007年)

MIDI 鍵盤による文字入力方式の提案 作曲に思いを馳せながら」(齋藤、安藤、野間、2022年)

88鍵のキーボードで「奏でる」プログラミング」(2017年)

パソコンのキーボードで音楽演奏する例は昔から(まだマイコンと呼ばれていた時代から)多数ある。
パソコンではないが似た製品例、ParoToneを紹介。横ずれ配列ではなく格子配列なのが面白いところなのだが、よく見るとこれ、Planckキーボード? 自作キーボードの技術がベースになっているのは間違いないようだ。製造・開発のコストも抑えられるわけである。

ParoTone


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